式内社比定神社名
相鹿上神社伊勢国 多気郡鎮座
 由緒1
天児屋根命
(配祀)大彦命
伊邪那岐命
天忍穗耳命
天津彦根命
活津彦根命
熊野久須毘命
大鹿島命
巨狹山命
天穗日命
八衢比古命
久那斗命
火産靈命
宇迦之御魂命
菅原道真
祭神不詳五座
『神名帳考証』『伊勢式社案内記』『勢陽五鈴遣響』『勢國見聞集』天児屋根命
『大日本地名辞書』『神社要録』『相可町史』天児屋根命
『背書國誌』『伊勢國誌』『布留屋草紙』『勢陽俚諺』
『勢陽雑記拾遺』『延喜式神名帳僻案集』中臣大鹿嶋命・大香山戸臣命
『三國地誌』『神名帳考証再考』『伊勢國式内神社宮地記』不詳
『神祇志料』『大日本史神祇志』不詳
 由緒2

相鹿上神社

相鹿上神社略記
1.鎮座由来
当相鹿上神社の御鎮座の時期は不詳ですが、延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式』の『神名帳』に記載されている所謂式内社であることから考えると、今から千百年以上前に創始されたものと考えられます。
上代から平安時代にかけ、相可地区は大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が支配していました。大鹿氏は、相可地区が伊勢の神宮や斎宮の神領地になっていたため、政所や検校などが置かれ、そこの役人としてこの地に住み着いたのではないかと思われます。大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社を建立したものが『相鹿上神社』と呼ばれ、付近一円の氏神様として崇拝信仰されるようになってきたものと思われます。
鎌倉時代以降は、武士の台頭により相可地区の神領地はほとんどなくなりました。しかし、熊野三山詣や那智山詣としての熊野街道と、都(平安京)や上方(大坂)と伊勢の神宮とを結ぶ参宮街道が交差する交通の要所であった相可地区は、宿場町としての繁栄にあわせて、『相鹿上神社』も大きく発展してきました。
明治時代になり、相可地区と荒蒔地区は相可村になりました。当時の政府の方針(一村に一神社)で、現在の相可一区、相可二区、荒蒔に祀られていた『伊蘇上神社』『八柱神社』などとその境内社を『相鹿上神社』に合祀し、『郷社相鹿上神社』となり、昭和20年代に現在の『相鹿上神社』になりました。
2.御祭神
天児屋根命・大彦命・伊邪那岐命・天忍穂耳命・天津彦根命・活津彦根命・熊野久須彦命・大鹿島命・巨狭山命・天穂日命・八衙比古命・八衡比売命・久那斗命・火産竪命・宇迦之御魂命・菅原道真公・誉田別命・両大神御魂・他五柱
3.神社概要 面積1028坪(約3392平方m)
社殿 東面 神明造
構造=銅板葺 堅魚木五本 千木外粉風穴付
鳥居 五基(明神鳥居三基 神明鳥居二基)
灯籠 十四基〔最も古いものは宝暦2年(1752年)の銘〕
手水舎 二基
狛犬 一対(石造)
宝物 木製瓶子一対(室町時代製作)
一升桝〔天正壬午(1582年)の銘〕
獅子頭 一対(徳川時代初期製作)
境内社 靖郷社
山の神
4.諸祭典
大祭   祈年祭節分の日
例大祭(じんじ) 7月第四日曜日
新嘗祭 11月第四日曜日
準大祭  厄除祈願算賀祭 3月上旬
靖郷社慰霊祭8月
中・小祭 歳旦祭元旦
建国記念祭 建国記念日
春分祭 春分の日
大祓祭 夏越の祓6月
晦日大祓 12月
秋分祭 秋分の日
七五三祭 11月第三日曜日
天長祭 天皇誕生日
月次祭毎月
5.合祀神社
相鹿上神社 所在地=相可字内畑153番地
境内社=多賀神社 若宮神社 地宮神社
伊蘇上神社 所在地=相可字磯部寺官第464番地
境内社=菅原神社 秋葉社 稲荷社
若宮神社 相鹿木太御神社
相可牟山神社 所在地=相可字牟山官第963番地
下殿神社   所在地=相可字東垣外官第239番地
塞神社    所在地=相可字三反切官第1030番地
塞神社    所在地=相可字出張官第49番地
氷室神社   所在地=相可字内畑官第592番地
八柱神社   所在地=荒蒔字九十九戸官第206番地
境内社=秋葉社 神明社

由緒書
 由緒3
由緒不詳
江戸時代に、度会延経が上相可村の上宮(当社)に比定した
明治5年2月郷社
同39年12月25日、神饌幣帛料供進社
明治41年5月12日式内社相鹿牟山神社、式内社伊蘇上神社、木田神社など18社を合祀
同41年12月25日伊蘇上神社の跡地である現社地へ移転相鹿上神社と単称
 社殿
本殿神明造
拝殿・神饌殿・社務所・庫・手水舎
 祭祀
江戸時代は「上宮」

参拝の記録写真

鳥居の写真

本殿の写真

摂社・末社の写真

境内の写真

御朱印の写真




©2021 たまゆら神詣で