式内社比定神社名
度会宮四座(相殿坐神三座並大月次/新嘗)伊勢国 度会郡鎮座
 由緒1
豊受大御神
(配祀)相殿神三座
 由緒2

由緒

豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
この参道は外宮の表参道にあたります。入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)がかけられています。
火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、ここで手を洗い口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。
この参道入口を古くから北御門といいます。外宮神域に入る、もう一つの入口で、第一鳥居口と同じく火除橋がかかっています。
手水舎は橋の外の左側にあります。
外宮神楽殿(げくうかぐらでん)
第二鳥居の向こう、右側にある入母屋造の建物が「外宮神楽殿」。「御神札授与所」もあります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、豊受大神宮の御神札・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。外宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。
※外宮神楽殿は、平成12年12月14日に改築竣工し、現在は新しくなった御殿で御祈祷を受け付け、大々神楽、御饌をあげることができます。
正宮
皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、この伊勢の国度会の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、ほぼ内宮の正宮と規模やつくりはかわりませんが、鰹木が内宮より1本少なく、千木が外削(先端が垂直に切られている)になってます。
「別宮」と申しますのは、正宮との間柄を示すご称号でありまして、皇大神宮、豊受大神宮を、「正宮」とするのに対し、あたかも本家に対する分家の意味で、別宮と称するのであります。別宮の「宮」は宮号(きゅうごう)と称し、天皇の思し召しにより、古くは勅書(ちょくしょ)をもって、のちには官符(かんぷ)をもって、定められました。これを「宮号宣下(きゅうごうせんげ)」と申します。神社にご称号をたてまつることは、ご祭神のご神威の輝きによります。これを敬うこといよいよ厚ければ、神の御稜威(みいつ)も、いやさらに輝きをますものであります。
豊受大神宮には宮域内に3所、宮域外に1所の別宮があります。
HP
 由緒3
雄略天皇22年7月7日鎮座
和銅4年(711)3月「渡相神主」の賜姓記事『続日本紀』
養老5年(721)9月11日渡会神宮に奉幣『政事要略』
神護景雲元年(767)6月17日度会郡の等由気の宮の上に五色瑞雲起覆天
延暦23年(804)『止由気宮儀式帳』が中央に提出
 社殿
本殿唯一神明造
 祭祀
古代より連綿として継承

参拝の記録写真

御朱印の写真




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