式内社比定神社名
賀茂別雷神社亦若雷(名神大月次/相嘗/新嘗)山城國愛宕郡鎮座
 由緒1
賀茂別雷神
 由緒2
上賀茂神社御由緒

神代の昔、本社の北々西にある秀峰神山に御降臨になり、天武天皇の御代(678年)現在の本殿に御鎮座になった。御鎮座以来広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大事には必ず奉幣、御祈願があった。
嵯峨天皇は皇女有智子内親王を斎院と定め、天皇の御杖代として御奉仕なさしめ給い、以来三十五代、約四百年続いた。
「延喜式」では名神大社に列し、のち一ノ宮として尊崇せられた。又摂関賀茂詣、武家社参相次ぎ、特に徳川家は家紋の三ツ葉葵が、当神社の神紋二葉葵に関係があるところから、特別の信心を寄せた。明治以後終戦まで、官幣大社として伊勢の神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
 由緒3
文武天皇2年(698)3月 賀茂祭の禁制
大宝2年(702)4月 賀茂祭の禁制『続日本紀』
神亀3年(726)7月 奉幣
天平勝宝2年(750)朝廷より御戸代田一町の寄進
延暦3年(784)11月丁巳「叙賀茂上下二社從二位」『続日本紀』
延暦4年(785)封戸十戸『続日本紀』
延暦13年(794)の桓武天皇行幸『日本逸史』
延暦17年(798)封戸廿四戸『新抄格勅符抄』
大同2年(807)五月には正一位『日本紀略』
承和11年(844)11月4日「鴨上下大神宮」『帝王編年記』
寛仁元年(1017)11月25日後一條天皇賀茂行幸
寛仁2年(1018)11月25日 「鴨上下大神宮」『類聚符宣抄』・『小右記』
寿永3年(1184)4月24日源頼朝社領安堵
暦仁元年(1238)には鎌倉將軍頼経の参詣
応永8年(1401)には室町將軍義満の参詣
元禄4年(1691)京都所司代より百六十四石三斗六升余の寄進
明治4年6月18日官幣大社
 社殿
本殿流造 桧皮葺 国宝
祝詞舎・透廊・御供所・樂所・神宝庫・唐門・中門・東西局.幣殿・忌子殿
高倉・楼門・東西廻廊・細殿・橋殿・土舎.馬場殿・社務所
 祭祀
古代より連綿と継承されており、多くの神事が古式を遺している。




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