式内社比定神社名
赤城神社上野国 勢多郡鎮座
 由緒1
赤城大明神
豐城入彦命
磐筒男命
磐筒女命
經津主命
(合祀)月讀命
素盞嗚尊
埴山姫命
豐受姫命
市杵嶋姫命
高おかみ命
建御名方命
(配祀)大山祇神
(合祀)大日ルメ尊
菅原道眞
譽田別命
水分神
火産靈命
御穗須須美命
煩之大人命
迦具土命
彌都波能女命
大土命
大物主命
鎌倉權五郎景政
保食命
罔象女命
倉稻魂命
猿田彦命
大國主命
木花咲夜姫命
伊弉册命
事解之男命
天照皇大神
速玉之男命
久那斗神
大雷命
柿本人丸
屋加須利神
(配祀)源家康
(合祀)大山咋命
 由緒2

由緒

所謂上毛三名山中、最も雄大にして極めて幽邃千景万趣、超、凡脱俗人をして自ら霊化するを覚えざらしむるもの赤城山とす。山は勢多郡北嶺の総称にして利根郡の陽を蔽い、海抜1820m、山頂は黒桧山(当山中最高)神庫岳(地蔵岳と呼ぶ。大神の神宝を納めし所)荒山、鍋割山、鈴ケ岳(以上をあかぎ五峰という)等数峰に分れ、その中央に大湖あり。旧噴火口にして澄碧の水、万古の神秘を湛えて万象をうるおす。赤城湖(大沼、一名くずはだか又は石垣沼ともいう)と言う。湖東一小島あり。原始的樹木繁茂し苑然湖中に浮べるが如し。小鳥ケ島と(赤城神社所有)名づく。元神社は湖の南畔に鎮座し、神苑には老樹うっそうとして千歳の翠滴り、現在飛地境内地なり。350有余年を経て社殿荒廃につき、昭和45年7月、小鳥ケ島に改築す。
赤城大神は上古より当国に鎮まります。創始は上古即ち崇神天皇(人皇第十代紀元564年)の御宇、皇子豊城入彦命、毛野国に入るや天神地祇をまつり尚国土経営主神大国主命を奉斎し東国の経営を祈り、また疫病絶滅祈願のため初めて此の山に勧請し給う。元の社殿は、平城天皇の御宇即ち大同元年の造営なり。(人皇51代紀元1466年)
赤城湖は元慶4年、上野国赤城沼神として信仰せられ、特に従四位上授かる。また宝暦13年正月9日、正一位を授かる。(三代実録記載による)爾来、大沼、小沼は赤城神社の神領にして、群馬県庁永年保存公簿、明治10年、群馬県庁地理課調査社事境内取調帳(抜粋)によると、大沼一一四丁一反六畝三十歩、小沼三十四丁三反二畝一歩とあり、沼神として実に信仰偉大なるものあり。
是より遥か後、天文の頃剣術諸流の祖、上泉伊勢守秀綱、大神を信仰し妙術を得たり。徳川時代に至り特に幕府は前橋城主に営繕を命じ、笠間明玄、長野、長尾謙忠、平岩氏、酒井氏、松平氏相次いで前橋城主となり、代々崇敬厚く、中でも三代徳川家光公は藩主酒井河内守重忠公に社殿営繕仰せつけ、また酒井雅楽頭忠世赤城山御願御成就上、社頭不残又御建立仰付。酒井雅楽頭御代寛永18年巳3月、一山を炎焼仕侯に付き社頭不残御建立旨仰付侯、御番人差置侯事「姫陽秘鑑」(姫路酒井藩の記録)中「神祇」の項による。
先の酒井雅楽頭忠世上田三反三畝十八歩寄進す。また、重臣川合勘解左衛門は寛永11年6月、同川合左近は明暦3年6月に各鉄弓を奉納す。また城主歴代、毎年米二十包献り、大祭には城主自ら奉幣せられ、尚また水千病災等に際しては、五穀豊熟、無病息災の祈願の執行を例とす。
かかる故、当国は言をまたず、近国に至るまで衆庶の崇敬深甚にして上野国大鎮守と称え奉り、其の信徒は五百二十余村に亘れり。登山口八か所の鳥居も当時の信者の奉納なり。当神社の分社は各地にあり、中でも文明年中城主笠間明玄氏厩橋城築城の際、城の未申方分社建設これを敬奉し、その他各地に有り。
以来明治維新廃藩に及び、各社請願により合併す。明治20年より明治43年の間に近郷の八か村二十二神社末社九十八柱合併す。
元の社殿、本殿、幣殿、楽殿、長屋門、末社五社、厳島神社(小鳥ケ島)弁天社以上の建物は寛永19年、前橋城主酒井雅楽頭忠清公再建のものなり。昭和45年7月、社殿荒廃につき、元の社殿跡小鳥ケ島に改築する。
旧4月8日(卯月8日)現在5月8日、例祭並びに赤城山山開き祭りが行われる。山頂黒桧山、神庫山、荒山、鍋割山、鈴ケ岳に向かい神社より山清の御使者が登り、登山者、山の無事安泰とその年の天災除けを祈り下山する。
8月8日には例夏大祭として大沼神を奉斎の神事として沼神に神饌を奉り、湖上には数百の灯篭流しや、盛んな行事が行われる。また、元の神社殿より御神幸の行事が執り行われる。特に無病息災、五穀豊穣祈願の行事が行われる。婦人の祈願があり、成就には緋鯉を数尾沼神に供える県下でも珍しい神事がある。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
 由緒3
崇神天皇の御宇創祀
大同元年造営
元慶4年従四位上
宝暦13年正月9日正一位
昭和45年7月造営
 社殿
本殿
拝殿




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