式内社比定神社名
椿大神社伊勢国 鈴鹿郡鎮座
 由緒1
猿田毘古命
(配祀)天津彦火瓊瓊杵尊
栲幡千千比売尊
(合祀)高御産巣日神
天照大御神
五男三女神
天之穗日神
豊受大神
大穴牟遅神
速玉男神
伊邪那美大神
大事忍男神
保食神
迦具土神
建速須佐之男命
大山津見命
木花佐久夜比売命
大雀命
品陀別命
菅原道真
彌都波能売命
大山咋命
宇迦之御魂神
八百万神
息長帶比売命
天津日子根命
天真名鶴命
志那都比古神
板倉家祖先
白髮大神主
祭神不詳
 由緒2

由緒

伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古時代、只今の神社の背後にそそり立つ高山入道嶽、短山椿ケ嶽を天然のやしろとして、(神代の神跡いわくら現在)高山生活を営まれたクニツカミ猿田彦大神を主神とし、相殿に皇孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命を祀り、配祀に天之宇受女命・木花咲耶姫命を祀る。神話に伝わる天孫「瓊々杵尊」降臨の際、猿田彦大神、北伊勢道別の里なる地祗本陣を旅立ち給ひて天の八衢に「道別の大神」として出迎え、風ぼう雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峯に御先導申し上げた事で肇国の礎を成したこの大神を、後に人皇第11代垂仁天皇の27年秋(西暦紀元前3年)倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓、土公神陵の前方御船磐座辺りに、「道別大神の社」として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ現在に及び、昭和の始め内務省神社局の調査により、全国二千余社の猿田彦大神をまつる本宮であることが明かとなり、「地祗猿田彦大本宮」と尊称されております。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
 由緒3
天平20年6月17日『大安寺資財帳』に記載あり
貞観7年4月15日正五位下『三代実録』
寛平3年8月21日従四位下『日本紀略』
貞観5年(863)正五位下
寛平3年(891)從四位下
天正11年秀吉の峯城攻撃で炎上
寛永14年本多俊次社殿.華表等造営
寛文年間板倉重常社殿造営
宝永4年8月御供料高25石
同5年10月御燈料高25寄進
明治4年4月郷社
昭和3年11月県社
 社殿
本殿神明造
幣殿・内拝殿・神樂殿・拝殿・御饌殿・渡廊・樂所・神輿庫
神饌調理所・神符授與所・社務所・客殿・倉庫・参籠所・修行道場・参宿所等
 祭祀
古来より継承されている




©2021 たまゆら神詣で